記:多谷ピノ
11月から12月にかけての3日間、「呼吸するお寺」である應典院にて、『セッション!仏教の語り芸』が行われました。
「説教」「能」「落語」、「現代説法」「現代詩」「浪曲」の極上のセッションはまさに仏教の語り芸と呼ぶのにふさわしい演目でした。皆様にも堪能していただけましたでしょうか。
「教えを語る」「弱者を語る」「死者を語る」のそれぞれの演目と、終了後のトークセッション、どちらも聴き応えたっぷりでございました。
1日目、チームいちばん星さんの現代説法パフォーマンスで幕を開けた「教えを語る」。子供たちの飾りのない言葉から編まれた詩や見事なハーモニーの歌、朗読劇などを通して、仏教の教えを見事に紡いで下さりました。それも仏教の言葉をひとつも使わずにです。思わず目を潤ませてしまいました。
その後行われた節談説教では、直林不退先生の声の力にその場がぐいぐいと引き込まれていくのが体感できました。伝統儀礼の持つ力というものを、感じさせていただきました。
また2日目の「弱者を語る」では、現代詩人の上田假奈代さんの独特の表現力に、人間の想像力が与えてくれる力強さというものを感じました。上田さんが「空からたこ焼きが降ってくる」と口にするだけで、脳裏にありありとたこ焼きの雨が浮かび、「釜ヶ崎のおっちゃん」たちとのやりとりを描く詩を朗読すれば、微笑まさとたくましさに頬を緩めずにはいられませんでした。
そうしてその後、桂文我師匠が演じてくださいました落語「弱法師」でも、まさに言葉で情景を描写する落語の奥深さを感じさせていただきました。年月の流れを物売りの声だけで表現するシーンでは、一言も触れられていないのに、それを耳にする老夫婦の悲嘆に暮れる表情までがはっきりと浮かぶのです。そんな落語は初めてでした。
言葉の力というものを、どっしりと受け止めさせてもらいました。
そうして迎えた最終日、「死者を語る」は、玉川奈々福さんの浪曲から始まりました。最初の解説で奈々福さんは「死者の対比としての生者を描く浪曲を楽しんでください」と朗らかにおっしゃいました。その通り、登場人物たちがいきいきと歌い上げられ、ラストでの大団円には思わずよかったとつぶやくほど彼らに感情移入しておりました。
そしてトリを飾っていただいた安田登先生のお能。
謡曲「隅田川」と夏目漱石の「夢十夜」は、まさに死者の語りでした。
薄暗い空間で安田先生の声だけが隅々まで響き渡り、心なしか体感温度まで下がった気がいたしました。
死者という、「こちらからあちらへと通過した者」たちの存在を、その体だけではっきりと表現されたことに、伝統の力をひしひしと実感しました。
皆様のご尽力のおかげで「セッション! 仏教の語り芸」、無事に終了いたしました。心より感謝いたします。本当にありがとうございました。
11月9日(月)、甲野善紀先生をお招きしての対談、「仏道と武道」が練心庵で行われました。
受講された大西龍心さんがご自身のfacebookにて、リポートを書いてくださいました。ご本人の許可をいただいきましたので、ここに転載させていただきます。
皆様もどうぞ講座のご感想などお寄せください。
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昨夜は練心庵にて甲野善紀氏と釈徹宗師の対談『仏道と武道』に参加。
ちゃぶ台を囲んでお話しされるお二人の姿はまるでボクたちが先生のお宅にお邪魔して横で話を聞いているような和やかな温かい雰囲気だった。
内容と言えばお二人の話が面白くないわけはなく、仏道嫌いの武士の話や、鈴木大拙の説く禅がなぜ西洋で受け入れられたかという事、浄土真宗と密教の怪しい(?)関係、数々の霊能者の話、男が読むべき3つの少女漫画などめまぐるしく話題は広がる。
途中シークレットゲストとして数学者の森田真生氏、建築家の光嶋裕介氏も席に加わり、話題は宗教と建築に広がり、「存在は時間の中で浮かんでいるようなものではなく、存在が時を拓く」という話、人間と言うものは納得を求めるものであるということ。
また森田氏の言う「永遠に忘却されるという恐怖」、「意識の精度、解像度が高まるに連れ、苦の相対量が増す」「この世界をさも本当の世界であると言うように認識している私たち」光嶋氏の言う「建築そのものではなく空間とその中の人間を見つめる」などそれぞれが一日の講義のテーマになるような話題だった。
講座修了後は甲野善紀氏の実技体験、以前にも一度お呼びして体験させていただいたが大の大人がころころと転がされている様子は見ていても面白く、また実際自分が転ばされてもなぜか笑顔が浮かんでしまう。
そのあとの振り返りの時間もいいお話をいっぱい聞く事ができて濃い一日だった。
(記:大西龍心さん)
11月20日に行われた「初歩からの宗教学講座」のリポートです。
記:多谷ピノ
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今回の「初歩からの宗教学講座」は「映画の中の死者儀礼-東アジア編-」と題されまして、伊丹十三監督の『お葬式』、中国映画の『涙女』、韓国映画の『祝祭』、台湾映画の『父の初七日』の宗教儀礼のシーンを視聴しました。
釈先生がおっしゃるには、今の日本は葬儀の変容時期だそうです。
確かに、「終活」を始め、葬儀への関わり方は私が子供の頃と比べても大きく変わってきていることを実感します。
直葬、家族葬、自然葬……いろいろな形態のお葬式が新たに提案されております。葬儀を始めとする「儀礼」とは一体なんなのでしょうか。そんな疑問を抱いて講座に聞き入りました。
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「儀礼」がもたらすもの
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まず儀礼には、「社会的コミュニケーション」と「象徴的コミュニケーション」があるそうです。社会的コミュニケーションとは、「こんにちは。何処へ行くのですか?」「ちょっとそこまで」という会話のような、一見意味のないものがそれにあたるそうです。
それに対しての「象徴的コミュニケーション」は、なんらかの象徴やシンボルをつかって「見えない世界」を表現することだそうです。宗教儀礼はこちらに分類されるとのことでした。
儀礼に理屈はあまり必要なく、「その場に身を置く」ことが重要だとのことでした。儀礼なしに一年過ごすのは人間としてきつい、という先生の言葉に深く納得しました。
毎日同じような日常を送っている私たちですが、やはり「儀礼があるからリセットされる」ものがあるわけです。だからこそ新しいことにも踏み出せるのでしょう。
毎日がお祭りのような現代社会はいわば、ずっと「ハレの状態」です。刺激が強く、煽られてばかりの状態では、リセットされる実感がなく、日常と非日常の落差が感じられないに違いありません。
「儀礼」によって社会は区切りをつけているのだと、あらためて納得しました。
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「強化儀礼」と「通過儀礼」
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さて、「象徴的コミュニケーション」に含まれる宗教儀礼ですが、さらに大きく「強化儀礼」と「通過儀礼」の2つに分けられます。
強化儀礼とは「日常を生きる力を活性化させる儀礼」です。お祭りや法要などがそれにあたります。「非日常状態」、いわゆる「ハレ」で、日常を再点検するのです。
もうひとつの「通過儀礼」は、「カテゴリーからカテゴリーに移動する儀礼」です。家から家へと移る結婚式、子供の領域から大人の領域へと移る成人式。そして、「生」から「死」へ移るお葬式。
死というものを超える「通過儀礼」が葬儀だと先生はおっしゃいました。「死を超える」。すごい言葉です。葬儀を通して私たちは「死を超える物語を共有」し、そののちも、「死者とともに生きる」のです。
「死者の視線を気にして生きること、死者の言葉に耳を傾けることは、きっと人類を鍛錬してきた」と先生は続けて説明してくださいました。人類の知性や情性がそうやって鍛錬してきたのだとの言葉に、連綿と続くひとつの流れをはっきりと感じました。
「なぜ人間は死者儀礼を営むのか」の問の答えが「人間だから」としか言い様がないとのことが、心に染み入りました。
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「定型」の持つ力
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伊丹十三監督の『お葬式』の表現方法で、先生は「限定コード」と「精密コード」のコミュニケーション理論について説明してくださいました。限定コードとは、決まりきった言い方で、精密コードとは自らの言葉で語るものだと。
限定コードのほうがレベルが低いと思われがちです。実際、コミュニケーション理論ではそのようです。ですが、「儀礼」に関しては限定コードのほうが力を持つことを、先生は宗教者として体感されているそうです。
葬儀の場で、なんの言葉も届かないほど悲しみにうちひしがれているご遺族に、決まりきった言い方をすることで事態がちょっとずつ動くのを何度もご覧になってきたそうです。「定型」だからこそ、相手も安心するのでしょう。様式の持った言葉の方が力を持っている」と先生はおっしゃいます。伊丹監督の『お葬式』はまさにその限定コードと精密コードが交互に出てくるのだと。
そういった視点で映画を見れば、それぞれの儀礼に目がいきます。文化や歴史、様式は違っても、宗教儀礼の持つ力は変わらないのだろうと思いました。
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日本仏教と葬儀
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俗に日本では「亡くなったら仏になる」と言います。ですがそれは「仏教ではありえない」ことだそうです。それよりも、「結び目が解ける=ほとけ」の説が日本ではしっくりくるのではないかとも。なにか大きなところに戻っていくのが「ほとけ」なら、「死んでブッダになる」よりもわかるとのことです。
本来の仏教からはありえないけれど、「死んだらほとけ」というストーリーは日本における死の文化を支えているそうです。日本人は仏教を受け入れたのと同時に、死に関して真面目に考え始めました。それまでの日本人にとって、死は「できるだけ遠ざけるもの」でしたが、「人間はそうやって死ぬ」という仏教が入ってきたおかげで受け入れるようになったとのことです。
理屈ではない宗教性と直結されるのが儀礼であり、儀礼そのものに力があるのだとすれば、それらを感じるアンテナを日々磨いていきたいと思いました。
現代日本では「自分の死んだあと人に迷惑をかけないように」という思いから終活をされている方が多い気がします。けれどそこにもうひとつ、儀礼の持つ力を共有していることを加味したら、「通過」するにあたっての考えがまた変わるのではないかと思いました。
記:日高明
前回に引き続き「ヒンドゥー文化圏の宗教」ということで、現代のヒンドゥー教のもとになった古層の宗教と、またそこから派生してきた初期の仏教を概説していただきました。
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ヒンドゥー文化圏の神々
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ヒンドゥー教では、中心となる神が移り変わってきています。ずっと昔は火の神アグニ、その次にブラフマン、というふうに。こういうのをカセノシイズム(交替神教)と言うそうです。
神話においては、この世界を創造したのはブラフマンということになっています。しかし「創造神=最高神」にならないのがヒンドゥーの面白いところで、ブラフマンは唯一にして絶対の神というわけではない。現在の主流は破壊の神シヴァです。
このブラフマンには顔が四つあります。なぜかというと、ブラフマンは妻であるサラスヴァティが好きで好きでたまらない、いつでも妻を見ていたくて、顔が四つになってしまったのです。どの地域のものであれ、神話には現代人からすると突拍子もないと感じられるエピソードがあるものですが、しかしこのブラフマンの四面の由来、もうちょっとなんとかならなかったのか。
「顔四つにしちゃいました!」という神話的な「斜め上」感のなかに、「好きすぎて」という素朴さを盛り込んでいるところに、カーマ(性愛)を人生の重要な目的と見なすヒンドゥー文化の神話っぽさがあると言えばたしかにそうかもしれません……。
妻がらみで言えば、破壊の神シヴァは、妻であるパールヴァティの入浴を覗かせろと言って息子のガネーシャと争って首を跳ね飛ばしてしまう。争いの理由も理由ですが、こちらはさすがに破壊神、荒ぶっています。ちょっと荒ぶりすぎちゃったなぁということで、新しい首をつけてあげるのはいいのですが、つけられたのはそこに通りかかった象の首でした。なんともアバウトです。
しかしこのシヴァ神、別の奥さんであるカーリー(戦いの神)の喜びダンスで地震が起きそうになり、地面を踏み鳴らすカーリーの足の下に自分が入ることでショックを和らげようとしたりと、荒ぶる神に似つかわしくない扱いを受けてもいます。喜び踊る妻に踏みつけられる破壊神。破壊の神なのに身を挺して大地を守っちゃうんですから、ちょっと親近感沸いてきますね。
こうした神々の物語にしても、またその神々の描かれ方にしても、現代の私たちとはやはり感性が異なる、しかしそれだけに魅了されるヒンドゥー文化です。
このような神々を描く叙事詩のほか、ヒンドゥー文化は信仰と一体となった哲学・思想を特徴として持っています。
大きく分けると、アースティカ(「有る」とする人たち)とナースティカ(「無い」とする人たち)に分けられます。
アースティカのほうが正統派で、彼らは「すべては有る、そしてその基礎には神がある」と考えます。仏教は、逆に、そのような神を認めず、すべては関係性で成り立つと考える立場ですから、ナースティカの側になります。ナースティカは異端になります。ヒンドゥー教の人からすると、仏教もジャイナ教もヒンドゥー教のなかの異端派ということになるわけです。
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ブッダの悟り(縁起、中道、智慧と慈悲)
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さてこの初期の仏教は、出家者中心の教えです。出家は、生きる上での苦悩を解決するための道でした。
ブッダが悟り、出家者たちに伝えようとした内容は、縁起、中道、智慧と慈悲、などであるとされています。
ブッダは徹底的に分析的な手法でもって苦の原因を明らかにしていきました。苦悩を縁起の視点で捉えると、それがなんらかの原因によって生じた結果だと分かります。
その原因とは、突き詰めれば、自分の執着です。すべては移ろい変化していくにもかかわらず、それを認めることができず、執着してしまうがために、苦しみが生じてしまう。極端な話、執着をゼロにすれば、苦悩もゼロになるはずです。
この執着は、自分の心と身体を点検していなければ、すぐに偏り、膨らみ、暴れだす。
だから心と身体を調えることによって、苦しみの連鎖を安らぎの落ち着けていく。このように考えるのが、メインラインの仏教です。
どんなに素晴らしい考えも、どんなに素晴らしい行為も、必ず偏っていく。偏ったら、具合が悪くなる。
仏教における正しさとは、「偏らないこと=中道」です。
思考や行為そのものの善悪が問題とされるのではなく、偏った思考、偏った行為が問題とされるのです。
とはいえ、まったく偏らずに考え、行為するのは難しいことです。私たちはいつも、自分の都合で物事を見ています。
好きな人ならば怒った顔さえ可愛らしく見え、嫌いな人の笑顔には下心を読み込んでしまう。嬉しいことがあれば景色も目に鮮やかに映り、悩みごとがあれば何も目に入らない。
ありのままには見ることができません。あらゆるものを自分の都合のフィルターを通して見てしまう。
こうした認知の歪みから、苦しみが生じることになります。
自分の都合を通さずに、物事をきちっとあるがままに見ることが、仏教の言う「智慧」です。
また、自分の都合を通さないということは、他者を自分と同じように大事にするということであり、その慈しみ憐れむ心を「慈悲」と言います。
世界中の仏教は、お光とお花でお荘厳します。光は智慧を、お花は慈悲を表します。
このような、縁起、中道、智慧・慈悲が、ブッダの悟りの中核にあったとのことです。
記:日高明
イスラム、神道、ヒンドゥー教と、世界の諸宗教を巡っています「初歩からの宗教学講座」は、いよいよ仏教にさしかかりました!
今回は、「ヒンドゥー文化圏の宗教」と題して、ヒンドゥー教の基盤となった古来のヒンドゥー文化圏の宗教と、2500年前に同時多発的に起こってきた様々な新しい思潮、そしてそのなかのひとつである最初期の仏教へとお話が進められました。ヒンドゥー文化圏の宗教と対比することで、仏教の特徴もはっきりと見えてきます。
ヒンドゥー教は4世紀頃に成りますが、その母体となったヒンドゥー文化の起源とえいば、はるか紀元前数千年にまで遡ります。
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人類が抱え込む“過剰”なエネルギー
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人類は誕生以来、自分のなかに抱え込んだ過剰なエネルギーといかに付き合うかということを一大テーマにしてきました。人間以外の動物は、無駄なことはしません。必要なだけ食料を捕り、子孫を残して死んでいく。でも人間は、ただ生きて死ぬということができない。シンプルな生命維持活動から逸脱して、自然の循環から外れる過剰さを持つ。必要以上に貯めこんだり、必要もないのに浪費したりする。恐れから争い、愛着から争い、偏見から争い、争いのために争いもする。作っては壊し、壊しては作るといった具合に、人間以外の動物から見れば、無駄なことばかりでしょう。この過剰さゆえに人間は固有の喜びを味わい、またこの過剰さゆえに人間は苦しみを背負うことになりました。
ヒンドゥー文化圏の宗教は、長い長い歴史をとおして、そうした過剰なエネルギーを扱うための身体技法や哲学を蓄積し、彫琢してきたのです。それは強烈な有の思想でした。
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カルマ(業)と輪廻からの解脱
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ヒンドゥー文化圏の宗教においては、私たちの思いや言葉や行為は、発せられ行われた時だけで終わるものではありません。それが善いものであれば善いカルマ(業)として、悪いものであれば悪いカルマとして、蓄積されていきます。どこに蓄積されるかというと、前世・現世・来世を輪廻する本体としての私、アートマン(我)に蓄積されます。
行った行為は、その場で終わらない!幾世も幾世も積もり積もって、また次の行先が決められます。
しかしどこに生じても苦しみがつきまとうから、この輪廻を脱しなければならない。ヒンドゥー文化圏の宗教でもいろいろと体系が分かれるところですが、一番メジャーな脱出方法は、宇宙の意志と合体すること。この宇宙の意志はブラフマン(梵)と呼ばれます。梵と我が一体になることによって、輪廻から解脱することができる。そのように考えられました。
生死や時空をつらぬいて、「すべてはある!」と考える圧倒的な有の哲学……。宗教を「個人のこころの問題」にすぼめて無難に理解してしまおうとする現代的な宗教観・人間観など一飲にされてしまいそうな、壮大な存在論です。
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アンチ・バラモン教としての側面
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しかしこのような伝統的なヒンドゥー文化圏の宗教、とくに特権的な司祭階級であるバラモンを中心としたバラモン教へのカウンターとして、新しいムーブメントが起こります。
宗教儀式を重視し、カースト制を維持するバラモン教に対して、2500年前、異議を唱える人々が現れました。彼らはバラモン階級の出身ではない出家者として、「シュラマナ(沙門)」と呼ばれます。これらのシュラマナたちが、のちにジャイナ教、アージーヴィカ教、ローカーヤタ教と呼ばれる宗教を形成することになります。そして、若きゴータマ・シッダルタ(のちのブッダ)もまたシュラマナのひとりであり、仏教はアンチ・バラモン教というニュームーブメントのなかにあったわけです。仏教も当時にあっては新宗教だったのですね。
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“有”と“無”、それぞれの思想
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さて、仏教は、古来のヒンドゥー文化圏の宗教が有の思想であるのとは逆に、無の思想です。
不滅の存在などない、と説くのが仏教の大きな特徴になります。あらゆるものは関係性で成り立っている、それ自身だけで存在するものはない、変化せず永続するものない、と考えます。ずっと変わらないアートマンを説く伝統的なヒンドゥー文化圏の宗教とは、まったく異質な教えです。
圧倒的な有の宗教地層のなかで、仏教は、異物のように無の思想、無我の立場を展開することになりました。
なぜ仏教は、無我の立場に立ったのか?
それは、自分というものにしがみつけば、苦しみの連鎖から逃れられないから。自分への執着を手放すために、我というものはないんですよ、と説く。その大本は、この苦難に満ちた人生をいかに生ききって死にきるか、というところにあります。
テーラーヴァーダ(上座部)とマハーヤーナ(大乗)という仏教の二大派の共通基盤である「縁起」「中道」「無常」とともに、この「無我」についても、また次回以降にうかがいたいと思います。
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愚鈍第一と言われた弟子
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もうひとつ印象に残ったことを。
ブッダの弟子の一人であるチューラパンタカは、他の有名な弟子方が「智慧第一」や「神通第一」などと言われるなか、ひとり不名誉にも「愚鈍第一」と言われています。お経は覚えられず、自分の名前さえ覚えていられない人だったそうです。
そうしてだれからも見放された彼に、ブッダは箒を与え、「塵を払わん、垢を落とさん」と唱えながら掃除をしなさいと教えます。
毎日毎日、一心に掃除を行い続けた結果、ついにチューラパンタカは悟りに至ったということでした。
日本に浄土仏教の礎を固めた法然は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と言ったとされます。
自分自身の名前さえ捨ててしまうようなチューラパンタカの「愚鈍さ」や、法然の言う「愚者」の愚かさは、自分への執着を離れ、ただひとつの行いになりきる純一さでもあるでしょう。「過剰さ」に振り回され続ける私にとっては、そのような愚かさは、無我ということとなんら変わらないように思えました。
三味線や太鼓など下座さんをお招きして皆様をお迎えした練心庵落語会八月席のリポートです。
・・・・・・・・・・・・・・・・ 記:納谷久美子
8月の落語会は、練心庵史上初!の、三味線・笛・太鼓つき!豪華でした。しかもその日、浴衣のお客様は500円引(お坊さんの法衣も可)だったので、華やかな浴衣の方がたくさんお越しくださいました。和服が多いと落語気分が盛り上がりますねえ。
いつもは、前半に落語、後半に解説なのですが、今回は、前半に太鼓や三味線の話、後半が落語でした。
太鼓や三味線の説明が聞ける、そして三味線の人に質問できる会なんて、そうそうないですよね。貴重な場でした。
「なんで三味線を始めたんですか?」という質問が出まして、その答えは「落語が好きやから」でした。そうか、その手があったか!!
太鼓の音の説明もありました。落語が始まる前の太鼓は「ドン、ドン、ドンと来い」と、お客さんがたくさん来るように叩き、落語が終わった後は「出てけ出てけ」と叩くそうです。
その後の落語は、いつもとは違って三味線つきで、「ああ、これぞ落語!本物!」って思いました。また三味線・太鼓つきの落語会やりたいなあ~。またいつか、やるかもしれませんよ。うふふ。お楽しみに!
記:多谷ピノ
7月期の「初歩からの宗教学講座」は、ユダヤ教についてでした。
配布されたプリントには「ジュダイズムの歴史」とのサブタイトル。ジュダイズムとはユダヤ教徒とユダヤ民族、両方を意味する言葉です。ユダヤ民族であるということはユダヤ教徒であるということだと、改めて感じました。
ユダヤ民族の神話は中東から遠く離れた私たちにもよく知られています。アダムとエバや、ノアの方舟、バベルの塔の話を聞いたことないという方はおられないでしょう。もちろんそれは、ユダヤ教から派生したキリスト教が世界中に勢力を伸ばした結果なのですが、間接的にせよ、日常レベルでユダヤ教と関わっていたことに少し不思議な気持ちを味わいました。
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ディアスポラによって整うユダヤ教
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ユダヤ民族の歴史は迫害の歴史です。今から1900年以上も前に、ローマ帝国への反乱に失敗したユダヤ民族は、世界中に拡散せざるを得ませんでした。ディアスポラの始まりです。そこから長きにわたって自分たちの国を持たなかったユダヤ民族ですが、民族そのものがなくなることはありませんでした。ユダヤ教があったからです。
ディアスポラと並行して、ユダヤ民族たちは自分たちの宗教の教義を整備していきました。一番大事な教えが書かれているトーラー、その解釈をするミシュナ、注釈書であるタルムードなどが100年程の時間をかけて次第に整っていきます。世界中のどこにいても、自分たちの教えを貫き通せるように。一番大事なものを手放さないように、彼らは努力と苦労を重ねたのです。
厳しい食規範に代表されるユダヤ教徒の、具体的な行動規範が説明されるたびに、ユダヤ教徒にとっていかに「神との約束」が日常に根付いたものであると感じ入りました。それを何千年も守り、伝え続けてきたユダヤ民族のマインドの強さと知性に、一同感心しました。
しかし、離散し、移住したその先々でもユダヤ民族は迫害を受けます。迫害を受け続けた彼らの胸に、共通の願いが灯ります。それらの願いもまた、受け継がれていきました。彼らは強くこう思ったのです。自分たちの国が欲しい。シオンの丘に戻ろう。
シオニズム運動の始まりです。
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イスラエルとパレスチナ
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第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、イスラエルが建国されました。1948年、イスラエルは独立宣言します。ですがそれは別の争いの始まりでもありました。その翌日に、第一次中東戦争が始まります。
中東戦争は第四次まで続きます。その後も民衆蜂起と呼ばれるインティファーダが起こり、オスロ合意を経ますが、それもまたイスラエルのガザ侵攻によって事実上崩壊したとみなされています。
スライドでは、現在のイスラエルやパレスチナの様子が映し出されました。
イスラエルとパレスチナを隔てる隔離壁。パレスチナ側の土地にはオリーブしか生えません。財産も何も持ち出せなかったパレスチナ人の女性たちがせめてお金に変えようと売りに出している伝統の刺繍のステッチが映し出され、また、眠っているあいだに父親が連れ去られたパレスチナ人の少女のエピソードや、イスラエルの中で暮らすパレスチナ人たちの苦悩などが語られました。
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卵と壁
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最後に釈先生は、作家の村上春樹氏が2009年、イスラエルに招かれてエルサレム賞を受賞したときのスピーチを紹介しました。おりしもイスラエルによるガザへの攻撃が激しい時期であり、多くの人が村上氏に賞の辞退を勧めました。受賞するなら不買運動を実施する、などと脅迫めいたことまで言われたそうです。さすがの村上氏も逡巡しました。「このタイミングでイスラエルの地を訪れ文学賞を受賞することがはたして適切だろうか」と。ですが、ある決意を持って賞を受けた村上氏は、授賞式のスピーチでこう言い切りました。
「心の奥に、刻み付けていることがあります。“高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ。”」
「壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります」
爆弾・洗車・ミサイル・白リン弾は高くて硬い壁であり、卵はこれらに撃たれ、焼かれ、つぶされた、非戦闘市民であることを氏は説明します。けれどそれだけではないともいうのです。
卵というのは脆くて壊れやすい魂を持った私たちひとりひとりのことであり、壁とは“制度”であると。
卵がいつも正しいわけではない、と言いながらも、氏は、「壁と卵がぶつかるなら私は卵の側に立つ」と続けます。
まずは卵の立場に立って物事を見る、卵の視点のスピーチに様々なことを考えさせられました。釈先生が神戸で知り合ったユダヤ教の若いラビは、日本に赴任してきたことをとても喜んでいたそうです。不思議に思った先生がそれはなぜだと聞きましたら、彼は笑顔で、「日本は反ユダヤ主義者がいないから」と答えました。
彼らもまた、卵なのだと思いました。もちろん私もそうです。じゃあ何故壁が生まれるのか? 卵と壁はぶつからなくてはならないのか?
中東情勢を初め、世界中で争いのニュースが飛び交っています。自分に何ができるのだろうと無力感に苛まされることもしばしばです。ですがまずはそれらのニュースを注意深く知ることから始めようと思いました。
6月26日(木)、初歩からの宗教学講座が練心庵で行われました。
受講された徂徠千代子さんがご自身のfacebookにて、リポートを書いてくださいました。ご本人の許可をいただいきましたので、ここに転載させていただきます。皆様もどうぞ講座のご感想などお寄せください。
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今日の練心庵の宗教学講座は、釈先生が熱く語る《仏像講座》
実は浄土真宗では、仏像はあまり重視されないらしい。
ところが、バチカンのピエタ像のあまりの聖性に打ち震えた(改宗しかけたw)ところから像のもつ魅力にとりつかれ、そういう目で見直すと日本の仏像も素晴らしい!今日は思いついて皆さんに仏像を好きになって帰ってもらおう。という釈先生の思うツボでした。もっと知りたい!もはや、釈先生、しゃべる《サライ》か《pen》状態です。小細工のきいたスライドでは物足りん!実際に見てまわるぞ。
まずは降三世明王でしょうか? このcoolな印、さっと結びはった先生、さすがです!
そういえば、パリのmusée Guimetに居並ぶ仏像。ギリシアからはじまってアジアを横断し日本に辿りついた時、なんと繊細で美しいんだ!って感動したこと思い出しました。
それと高校の遠足で広隆寺に行って弥勒菩薩を初めて見た時、当時の主人に似てるなぁと思ったんですわ。あの胴のラインが。2度目に見た時は、そうやったな〜と思い出しただけで、、、w
いや〜昨日に引き続き面白かった〜!
小野市の弥勒堂、秋分の日に行きます〜〜))
(記:徂徠千代子さん)
記:納谷久美子
五月席の演目は「東の旅 発端〜煮売屋〜七度狐」でした。
あまり上演されない珍しい話だそうです。落語家の卵が練習に使うものだそうです。なるほど、練習には良さそうだなと思いました。ものを食べる場面が多いのです。
せんすを、箸や、団子の串に見立てて、いかにも食べているかのように演じます。体の動きだけでなく「ずずずっ」と、うどんやお茶をすするような音も立てます。
「話はあまり面白くないでしょう?だから、あんまり演じられることがないんですよ。」とのこと。うーん、確かに、波瀾万丈なストーリーではありませんでした。でも、旅の道中、驚くようなことがたくさんあります。
ただ、この話は、そこを言ってしまうと「驚きたかったのに残念!」てなことになってしまうため、何が起こるのかはナイショです。
記:多谷ピノ
5月28日(木)、第9回初歩からの宗教学講座が練心庵で行われました。
今回のテーマはユダヤ教。
厳しい食規範など、戒律の多さで知られている宗教です。
「宗教のことを知っているから、尊重できるとは限らない。知っているからこそ生まれる差別もある」という釈先生の言葉は、「だからこそ敬意を持ち合うことが大事だ」と続きます。
信仰を持つ人にとっては、人生そのものである宗教。
先人から続く人格の主体である宗教を踏みにじることが、いかに残酷なことかを述べてくださいました。
また、ユダヤ教では安息日を大切にし、その日は極力なにもしないようにしているそうです。乗り物にも乗らず、歩いてシナゴーグまで出かけるユダヤ教徒たちの姿に、「出来るけど、しないというのは大切」だと教えてくださいました。
できる技術があるからと、片端から実行していけば、本能の壊れた動物である人間はリミッターが効かず、滅亡に至る可能性もあるでしょう。第一、資源が枯渇する。
「出来るけどしない」というフレーズに、ハッとさせられました。現代社会を生きる我々にとって、今、欠かせない視点ではないかと感じたからです。
記:納谷久美子
練心庵、恒例の落語会。
今回は「くしゃみ講釈」でした。
怖い顔で、難しいことばかり言う講釈師が、真っ暗な夜道を歩いていると、なんと・・・!!何をしたかは、この落語を聞いたことがない人のために、ナイショにしておきますが、真っ暗で何も見えなかったので、ある男に、ひどいことをしてしまいました。
その男は、講釈師に仕返しをしようと、いろいろな方法を考えます。そして「胡椒でくしゃみをさせて、講釈ができんようにしたらええ。」というアドバイスを受けます。よっしゃ!やっと題名の「くしゃみ」が出てきたぞ!
前半は、その胡椒を買いに行く話、後半は、実際に使ってみる話です。この男は、なぜか「どこそこの八百屋」「胡椒」「2銭」が、なかなか覚えられません。
「どこで買うんやったかいな。…あー、せやせや、どこそこの八百屋やったな。わかった。んで、何を買うんやったかいな。…あー、せやせや、胡椒やったな。んで、なんぼ買うんやったかいな。…あー、せやせや、2銭やったな。んで、どこで買うんやったかいな。」そんなに物覚えが悪いならメモして行きんかいな…。でも、「のぞきからくり」の口上は丸ごとすらすら言えるので、その中に出てくるせりふを使って、だじゃれで暗記します。でも、どの部分でダジャレにしたのかを忘れてしまいます。ほんまに、どんだけよう忘れんねん。それで、「こしょう」というせりふがでてくるところまで全部言って、えらい時間がかかります。
さて、この「のぞきからくり」とは何ぞや?落語のあと、陸奥さんによる解説がありました。お金を払って、凸レンズ(虫メガネのレンズ。ものが大きく見える)をのぞくと、向こうに絵が見えます。紙芝居のように絵が変わっていきます。お金を払って見ている人が「わー!すごいなあ!」など言うので、「何や何や?!」「見たいわあ~!」と、どんどん人が集まってくるそうです。
この落語のはじめのほうに「東京が江戸やった時代?そんなん、まだ生まれてへんかったから知らん!」というせりふが出てきます。ということは、明治中期以降が舞台ですね。落語の舞台は、江戸時代ばかりではないのです。
4月10日(金)、初歩からの宗教学講座が練心庵で行われました。
受講された大西龍心さんがご自身のfacebookにて、リポートを書いてくださいました。ご本人の許可をいただいきましたので、ここに転載させていただきます。
ご自身も僧侶であられる大西さんの考察はこちらにとっても勉強になるもので、同じ講座を受けていても、人それぞれ、受け取る部分が違って、それを話し合うのも興味深いと思いました。
みなさんも、どうぞ講座の感想などお寄せください。
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先日練心庵にて行なわれた釈先生の「初歩からの宗教学講座」
今回は「神道を学ぶ」の三回目と言うことだったのだが、これまで参加しなかったのが残念なほど密度の濃い内容であった。
「大祓詞」に見られる手順は非常に重視するのだが最後は突き詰めないという思考パターンは川での禊ぎを連想させられて興味深く考えることができたし、神道と河合隼雄氏の「中空構造」の考察については曼荼羅の中尊大日如来の存在についても思いを馳せることができた。(ついでに阿弥陀と中軸構造との関係についてもお聞きしたかった)また御霊信仰については古典を読む上で非常に重要な思想なのだが荒御霊の成立と身分との関係についても当時考えておかないとと思っていたことを思い出した。
ボク自身今はお坊さんとして暮らしているけれども小中高とカトリックの学校に通い、高校時代は授業中聖書を読んだりしてた。また実はうちの先祖は柳田國男氏の『日本の伝説』に出てくる家で、神社とも縁の深い家である。
やはりまだまだ勉強しなくては!
(記:大西龍心さん)
記:多谷ピノ
3月13日(金)、練心庵で彼岸会が行われ、直林不退先生の節談説教をお聴聞しました。
お説教の古い形である節談説教は、七五調で抑揚の付いた節で語られる部分があるのが特徴です。浪曲、講談、落語などの基礎になるほど、日本の語り芸能に影響を与えました。
しかし、近代化に伴い、布教の純化を求める声が高まったこともあり、節談説教は一時、衰退の道を辿りました。口伝で伝えられていたこともあり、今日では節談説教ができる方は数少なくなっています。
直林先生は、節談説教の研究者でもあると同時に、その数少ない伝道者のおひとりでもあられます。
しかし、いざお説教が始まると、そういった知識は頭の隅に押しやられ、大きなうねりの中に放り出されたような、不思議な感覚にとらわれました。その声量、響き、語られる内容すべてがひとつの流れを作りだし、すべてが圧倒的でありながら、なぜか「しっくりくる」のです。日本の芸能のルーツになっていることを実感しました。
その後の釈先生との対談で、直林先生は、讃題、法説、比喩、因縁、結勧といった構成要素や、「初めしんみり、中おかしく、おわり尊く」など、具体例をあげてお説教の解説をしてくださいました。
しきりに「節談説教の構成の妙」をあげてご謙遜される直林先生でしたが、あの場をひとつにまとめ上げたのは、やはり直林先生の宗教者としての高潔なお人柄だと思いました。「私、節談話してる時が、一番楽しくて有り難いです」というお言葉にそれがあらわれている気がいたします。
皆さんが涙を拭う場面も見られ、本当によい時間を過ごさせていただきました。直林先生に心より感謝いたします。
また皆様からも彼岸会ということで、尊い御懇志や御供をお預かりいたしました。本当にありがとうございました。
記:納谷久美子
桂優々さんの 練心庵 落語会、今回は落語2本立て!「道具屋」と「がまの油」でした。優々さんいわく「短い話やから」とのことですが、今回は、枕も落語も、その後の陸奥賢さんとの対談も面白くて、いつもの2倍楽しめた感じで、お得でした。
さて、枕とは何か?落語というものは、落語家が出てきたらすぐに物語が始まるのではなく、まずは「最近あったおもろい話」などをします。これを落語用語で「枕」といいます。
今回の枕は、花粉症の話と、ネットの悪口について。優々さんは、お客さんにどう思われているのかを気にして、ネットで検索するのだそうです。「あいつは声がでかいだけやな!」など、お決まりの悪口がいくつかあるそうです。「落語家は、ほめられたほうが伸びるタイプの人が多いと思いますので、どんどんほめてください!」とおっしゃってました。
ほな、ほめましょかね~。優々さんは、もちろん声がでかいのですが、でかいだけじゃなくて、はっきり発音してくれるので、私のような落語初心者は助かります。
「かわりに私が全部しゃべったろかー」というぐらい、落語に詳しいお客さんなら、聞き取れない部分があっても、どんな場面か、すでに知っているので、ちゃんと笑えます。でも、落語初心者は、何を言ってるのか聞き取れないと、どういう場面なのか分からず「みんな笑ってるけど私だけ笑えない」という寂しいことになります。
優々さんは、声も大きいし、はっきり発音するし、さらに動きも派手なので、わかりやすくて助かります。他の人が笑ってるところで必ず自分も笑えます。優々さんは、名前の通り、初心者に「優しい優しい」落語家さんですよ。
あ、ついでに、優々さんは花粉症だそうで、「ほんまに効くんかいな。まあ腸には良いわな。」と、ヨーグルトを食べるようにしているそうです。
さて、レポートの枕が長くなりました。そろそろ落語の話をします。
今回の「道具屋」は、へたくそな古道具売り(の、見習い)が、夜店で古道具を売ろうとして、失敗ばかりする話です。良い場所も取れず、公衆便所のとなりで道具を広げて頑張ります。
「がまの油」は、ガマガエルの油を「こんなによく効くぞ!」と上手に売るおっちゃんが、酔っぱらって大失敗する話です。大失敗したところで「あー、ここで話が終わるんやな」と思ったら、そこから優々さんは、ある小物を次から次へと出してきました。私も会場の皆さんも「まだ出るんかい!」と最後まで大笑いしました。
その後の対談で、「道具屋」に出てきた公衆便所について、陸奥さんの解説がありました。昔、公衆便所と交番は、となりどうし、セットで建っていたそうです。なぜなら、昔は農家が肥(こえ)を高く買ってくれていたため、公衆便所の肥を盗むやからがおり、盗まれないように交番が隣にあったのだそうです。
その話を聞いて、ハッ!と思い浮かべたのは、難波の戎橋(えびすばし、通称ひっかけ橋)です。南側に交番と公衆便所がありますよね。なんであんなところに公衆便所があるんやと思っていました。そこらに店がたくさんあって、いくらでもトイレがあるのに、なんで橋にトイレなんか作ったのか?なんでトイレとセットみたいに、となりに交番があるのか?今回の解説を聞いて納得しました。昔の名残なんですね。
落語を聞いて笑って、解説を聞いて大阪の町に詳しくなる。町を歩きたくなる。そんな練心庵の落語会は、毎月開催しています。次回もどうぞご来場くださいませ。ではまた来月。
記:多谷ピノ
2月27日(金)第6回初歩からの宗教学講座が開かれました。
回を重ねるごとに、皆さんの熱気が伝わるこの講座。今回も満員御礼でした。ありがとうございます。
「三種の神器」についてのご説明から、語り芸能、そして節談説教へと話は広がり、あっという間の90分でした。
しかし、今回特に印象に残ったのは、釈先生の絵のうまさでした!
さらさらとホワイトボードに描かれる「こんにゃく問答」。簡単な線なのに、少しの違いでその人物がどんな職業かよくわかるんです。ただ、釈先生は、「いや、皆さん。私、これを褒められてもうれしくありません……」とおっしゃってましたが(笑)
オチまでしっかり堪能させてくださいました、今回の宗教学講座ですが、もちろんそれ以外のところもみっちりと教えていただきました!
(撮影:向井恵峰さん)
記:日高明
武術研究家の甲野善紀先生をお迎えして、介護現場での身体の使い方についての講座が開かれました。
講座は甲野先生と練心庵主宰の釈徹宗との身体論談義からはじまります。トピックは多岐にわたりましたが、ここにひとつを挙げれば「心と体との密接なつながり」について。
いまのスポーツ界では、トップアスリートになるほどフィジカルなトレーニングとは別に、メンタルトレーニングも行っています。でも人間の心と体は、さくっと切り分けられるものではありません。緊張や恐怖など、心の動揺は、即座に身体にあらわれます。逆に、身体のコントロールを通じて心の調整を行うことも可能なわけです。
甲野先生が見せてくださったのは、「鷹取の手」と呼ばれるかたちでした。まず両手の親指と人差し指と小指を合わせる。つぎに左右の手の薬指を交差させ、たがいに引っ張ります。この形に手を組むと、自然と横隔膜が下がり、呼吸が落ち着き、突然の一大事にさいしてもアガってしまうことなく冷静に対応できるのだそうです。
このように、長い年月に渡って多くの先人達が発見・開発してきた技法には、心身のパフォーマンスを最大化する知恵が詰まっています。ですがそれを知らない近代人は、身体のなかの力の大部分を眠らせたまま過ごしています。
たとえば私たちはふだん手や腕を自由に使っていますが、あまりに便利すぎるためにその使用に慣れきって、何倍もの力を秘めている背筋や脚を活かすことができません。そして脳は、なにをするにも手や腕の力に頼ろうとしてしまう。手とズブズブの関係をとってしまう脳を、甲野先生は「バカ社長」と呼びます。
先生いわく、「このバカ社長が、しゃしゃり出てくる手ばかりを評価して、口数は少ないけれど能力のある背筋や脚を窓際に追いやっているんです。」だから、身体全体の力を引き出そうとするなら、この出しゃばりな手を抑えておく必要があります。そこで、「旋段の手」です。詳しくは省きますが、これは五指を独特のかたちに固定することで、力を拮抗させて手の余計な動きをあえて抑えこみ、身体の他の部位のちからを引き出すためのかたちです。相手に手首をつかんでもらい立ち上がらせるときにも、この旋段の手を組むと腕の力で無理に引っ張らずに身体全体を使うため、簡単に相手を立ち上がらせることができます。
トークはその後、参加者の皆さまによる実技へと流れ込み、練心庵は介護身体論の実践研究の場となりました。
仰臥位から座位への起きあがりの介助、椅子からの立ち上がりや椅子への腰かけの介助、歩行介助、ベッド上でのおむつ交換時の介護者の姿勢についてなど、参加者の皆さまからさまざまな質問があがりました。「なかなかベッドから起き上がろうとしてくれない利用者にたいして、どのように声をかければいいか」など、質問は介護の身体技法だけでなくコミュニケーションの仕方にまでおよびます。甲野先生は、それに即座に、ときに考えながら、身体と心の働かせかたを示してくださいました。
予定を30分オーバーしての終了後も、なおほとぼりの冷めない参加者と練心庵スタッフが先生のところへ質問に押しかけ、術を体験させていただきました。「介護をとおして体を鍛える・調える」ためのヒントをたくさんいただき、参加者のみなさまとともに身体運用の奥深さ、そして面白さを、身をもって知ることができた午後となりました。甲野先生、ありがとうございます。
記:納谷久美子
第2回 練心庵 落語会「不動坊」
若手イケメン落語家 桂優々さんの落語会。今回は落語の後に、観光家の陸奥賢さんによる解説がありました。
落語には「あほな男」がよく登場しますが、今回の主人公は、しっかり者の利吉。憧れの女性を嫁にもらえることになり、うかれてあほなことをしてしまいます。そのせいで仕返しをされますが、ビシッと妻を守り、かっこよく描かれています。
突然、利吉の妻になったのは、しっかり者で美人のお滝さん。落語の後の解説で、こんないい女が出てくるのも珍しいのだと聞きました。落語には、悪い女やあほな女が多いそうです。
お滝さんのせりふは、最後まで一度もありません。お滝さんは聞き手の想像次第。だからこそ、よりいっそう魅力的になるのだそうです。
今回の落語を見て、「優々さんの落語は、動きが派手なんだな。」と思いました。裏から見ていたスタッフは、優々さんが高座から落ちそうでヒヤヒヤしていたそうです。
でも、優々さんいわく、これは動きの派手な落語なんだとか。落語は普通、左右の動きが多いのに、これは上下の動きが多いのだそうです。
古典落語には、聞き慣れない言葉がたくさん出てきます。今回もいくつか出てきました。講釈師?裏長屋?
そういった用語とともに、当時の大阪の長屋の常識、町の作りなども、陸奥さんから詳しく解説していただきました。「ああ、それを先に聞いてから落語を聞きたかった!」「いま、もう一度聞けばもっと楽しめる!」と思いました。
今後、別の落語を聞いたときに「ああ、これは、あれだな!」と、ニヤニヤできそうです。解説つきの落語って、いいですね!ますます落語が好きになりました!
本日の宗教学講座は緊急特別講座として、前半に井上陽先生に登壇していただき、イスラム国に関する講義を行いました。
受講された西尾卓也さんがfacebookにてレポートをあげてくださったのでご紹介します。
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釈徹宗先生が、開かれた練心庵さんに、初めてお邪魔させていただきました。
同じ建物の二階で、活動されているNPOそーねさんには、何回かお邪魔しています。
「初歩からの宗教学講座」 神道を学ぶ
神道がテーマだったのですが前半は、今の状況を受けてイスラム国のお話をしていただきました。
イスラム国そのものが、取っている行動は反人道的で、許せるものではないが今、近代国家の概念が揺らいでいる。
キリスト教文化圏によって創られたものに、待ったをかけて本来のイスラムの形に戻ろうとする動きは、更に活発化するだろうと言うお話。
本当に興味深く拝聴致しました。また、当然ながら一筋縄ではいかない、難題を突きつけられていることを痛感。
神道のお話で、特に印象に残ったのは神道と言う信仰が担ってきた血縁(氏・クラン) 地縁(村社会、地域コミュニティー)仕事(ギルド・村的企業経営)この三縁が崩壊した日本で、新しいコミュニティーを作り出して行こうと言うお話。
これからの日本にとってとても大切な事だと感じました。
充実した内容で、あっという間の一時間半。
参加させていただき、本当に感謝しています。
記:多谷ピノ
練心庵、2015年の最初を飾るイベントは落語家桂優々さんをお招きしての落語会、その後釈先生と優々さんとのトークでした。
今回の演目は「池田の牛ほめ」。
優々さんのよく通る声で演じられる主人公の男は、どこか抜けていて、人の話を聞いているのかいないのか、よくわかりません。でも、すっとぼけているかと思うと、変に粘り強く話に食いつく。そんな男と向かい合うおじさんがだんだん気の毒に……なることはなく、彼らのやり取りに思い切り笑ってしまいました。
その後、サゲに使われる「秋葉様のお札」がどういうものかという釈先生の解説、また、建築用木材を育てる林業の方の心意気のお話など、多彩なトークが繰り広げられました。
現在、桂雀々さんのただひとりのお弟子さんである桂優々さんは、龍谷大学で仏教を学んだということです。このご縁をぜひつなげていただき、皆様で優々さんを育ててください、という釈先生の言葉に、聴衆の皆様は暖かい拍手で迎えてくださりました。笑顔になれる空間を作ってくださった優々さん、釈先生、そして皆様に感謝いたします。